精神の承継

精神の承継(職人の血統)

私の父方の家系は高祖父、曾祖父、祖父、叔父と四代にわたって大工業を生業としておりました。しかし、お題目にもありますように弊社は創業者や先代からの事業継承はありません。先祖から受け継ぐものは権利、財産等の「継承」または地位・仕事・事業等の「承継」も一切なく精神の「承継」のみ受け継ぎました。
加えて言うと職人の血の承継ということです。高祖父の出身地は戦国時代から越後与板打刃物職人や鋸鍛冶の祖といわれる中屋庄兵衛の出身地でも有名であり大工道具の宝庫であった越後長岡三島という場所で大工をしていたようです。

鋸鍛冶の元祖中屋庄兵衛手作りの鋸鋸鍛冶の元祖中屋庄兵衛手作りの鋸

中屋庄兵衛の脾(1818年~1860年)新潟県長岡市脇野町中屋庄兵衛の脾(1818年~1860年)新潟県長岡市脇野町。

故横坂正人氏の鉋

故横坂正人氏の鉋

越後長岡与板町の楽山で有名な故横坂正人氏の鉋。当家の菩提寺も与板町にあり遠い親類の可能性があります。

高祖父の巳之七(1852~1923)の前も大工の可能性はありますが定かではありませんが曾祖父の久次郎(1884~1938)が長男で他の兄弟二人も大工をしていたようです。

高祖父(巳之七)と曾祖父(久次郎)と兄弟高祖父(巳之七)と曾祖父(久次郎)と兄弟。前列中央が巳之七、前列左端が久次郎    大正中期頃撮影 現長岡市下河根川

祖父の久作(1908~1980)が幼いころには一家は東京の大久保に移り、その後は横浜の鶴見(寺尾)磯子(岡村)と大工業を続けました。

幼いころから大工道具が身近に

祖父久作21歳。昭和3年撮影。

祖父久作21歳 昭和3年撮影

私も幼いころから大工道具が身近にあり十代のころはアルバイトで幾度か現場に出て手伝いをしておりました。当時はマンションの造作大工としての仕事が増えてきた中、昔からの木造の仕事もまだあり下小屋で墨付けや鋸(のこ)鉋(かんな)鑿(のみ)を扱い研いだり家具製作まで色々と経験させていただきました。
昭和22年に家督制度の廃止に伴い世の中的に一般の家庭で家を継ぐという流れは減少し祖父の仕事は父の弟である叔父が継ぎました(その後廃業)。私自身は建設業でも違う道を歩みゼネコン業界の内装工事の畑に入り現場管理に従事し今に至ります。

横浜市鶴見の智広寺の本堂上棟式昭和21年10月 横浜市鶴見の智広寺の本堂上棟式。この本堂は昭和20年の横浜大空襲で焼けてしまい再建。前列左から5人目の髭をたくわえているのが祖父の久作。

未来へ向けて

内装工事といっても簡単に一括りには出来ず幅が広いですが、弊社はゼネコン様の下請けとしてマンションを中心に躯体、設備、電気、住設以外は概ねの内装工事は請負っております。頻度は多くはありませんが、もちろんその中に木工事もあります。
現在、特化している工事は軽鉄・ボード工事となっておりますが何より造ること全てに於いて個々の職人が居なくては出来上がりません。AIが日進月歩にある近年ですが建設現場にはまだまだロボットでの施工は不可能であり資材や施工マニュアル等の進化はありますが現地職人の一品生産で成り立っております。私も職人とコミュニケーションを取るのが好きで取ることによってお互い理解し合える事も多々あると思って接しております。
弊社はどの様に計画したら職人がスムーズに施工できるか無駄な費用が掛からないかを日々、社員と職人と元請さんとで思案しております。今後もこの血の承継は大事な財産にして運営していく所存でございます。

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